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日蓮と親鸞はわかりあえるのか??

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日曜日、避暑した図書館で「法華経はなにを説くのか?」を借りた。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%82%92%E8%AA%AC%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%B6%99%E6%88%90/dp/4393133633

レベルが高すぎた。事前に法華経入門くらいを読んでおかないと理解は厳しい。
少しくどいところもある。 ←に、久保さんの意図というか使命というか気持ちが伝わる。
その解釈をめぐるすっきりしない長い歴史があるのだろう。

念仏で救われる。など恐ろしく邪宗。と切り捨てた日蓮はおそらく正しい。
そんな小難しい理屈は執着にすぎない。と切り捨てた親鸞もたぶん正しい。
どちらも正しいことを言っているのでそれを教えとして聞いているうちは間違いはない。
なのに、それが宗になるとき、いつのまにか教えは霞んでいく。
釈迦の教えは一乗なので真の菩薩同士でその解釈をめぐり争うことはできない。
今、ふたりが生き返って話しをしてもらえれることができればきっとそれがわかる。

一方、お寺さまにしてみれば信者の争奪は領土確保の防衛戦なのでゆずることはできない。
どちらも自分の信じる教えに従って、信念で、使命感を抱えて、「欲は捨てろ!」と言うしかないのだ。
不毛と言えば不毛だが、だから無意味とはきすてるわけにもいかない。
それが繰り広げられるのが人間が生きていく(仏の?)世界だから。
長い修行の後にお釈迦様が菩提樹の下ではっと気づいたのはこのことのような気がする。
普通の人が普通に見ている普通の光景をさとった!みたいな?知らんけど;
勉強をしたお坊さまより在家の人達の方がお釈迦さまの近くにいるのかもしれない。
とにかく、オラは法華経入門にもどらなくても良いような気がしている。
生まれたところが真宗だったので、とりま念仏! でいいのだv

Written by nasu38yen

2015年8月5日 @ 10:25 PM

カテゴリー: つれづれ

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