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神には慈悲もご加護もない

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http://agora-web.jp/archives/1603638.html

なるほど~
試合の結果を神は知っているかもしれないし知らないかもしれない。
そのいずれが神なのか?を人は知ることはできない。それが神だから。
そして人はそれを知る必要もない。知ることはできないのだから。

なので、勝利の祈りは無意味である。
神には慈悲もなければ、ご加護もない。
しかし、その神を謙虚に受け入れ祈り、念仏すれば、その愛を受け取ることはできる。
万人に与えられているので。

確かにいずれの宗教の教えもそれ以上のことは言っていない。衝突しない。
さらに現代科学が到達している結論とも矛盾するところがない。

聖書には、不信心(神ではない神への信仰)の罪と償いが予言されている。
へびにもらったリンゴとは、人の能力そのものを指している。
神ではない神を信仰できる能力で、その罪は別の人の犠牲で償われる。

その痛みを自身で感じることができるようになる時、人は罪から解放される。
時間とは、歴史とは、その時までに与えられた物語かもしれない。
宇宙に始まりがあるように、この物語にも終わりがあるような気がする。
その時、人は言葉では理解することができない絶対的真実が明らかになる。
命は時間の中で消えるのであり、その時間が消えるとき永遠が現れる。

知ることができないものは無いのと同じだと思うかもしれない。
考えてみよう、鳥はその空が満たされていることを知ることはできない。
無いと考えているそれを確実に見ているのだ。

Written by nasu38yen

2014年7月14日 @ 9:33 午前

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