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親鸞はどうして「ただ念仏」と言ったのか?

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それは、親鸞がその時代に生きていたから!

お手伝いを頼まれてお寺さんの報恩講に行ってきた。
収穫が終わって一息ついたころ、寺に集まってみんなでガヤガヤ話しをするのは、
TVもなにもない時代には祭りに似たなによりの楽しみなことだったのだろうと思った。
その役割は今はもうない。

仏教は難しい。それは哲学だから。
「哲学」という言葉も知らない人にそれを教えるためには方法が必要となる。
「ただ念仏」は、親鸞があみだした画期的なソリューションだった。その時代で有効な。
それはしかし手段なので、時代を超えて普遍となるものではない。が如来の本意だ。

学校で、西洋の形而上学の試みを一端でも習ってしまった僕らに、
親鸞の教えは逆に難しい。その意味を理解するのは容易でなくなっている。
「意味がない」と言うと、「そうゆうもんでもないでしょう」と言われる。
その気持ちもわからないでもないが、人はなぜそれを続けようとするのだろう?と思ってしまう。

巨大で強固な本願寺システムの維持を保守とは思えない。
それが、釈迦や親鸞の真意にそぐわないと思うから。
親鸞はイノベーターだったのだ!それを汲むのを保守というべきなのではないか!と;

Written by nasu38yen

2013年10月18日 @ 1:04 PM

カテゴリー: 未分類

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