ピースペース

ほんものはなんだろ?を考えていた

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おととい、ダーリンが「ほんものが求められているのだろう」と言ったので、ほんものてなんだろ?と考えた。
きのう、ダーリンが「ひとりの個人にもできることがなにかあるだろう」と言ったので、何ができるか?を考えた。
考えると何かに届きそうな気もするし、そうして答を求めはじめると遠くなるような気もする。

今朝、新聞の「決して許されない行為」を見ながら思った。
「決して許されない」に従うなら、これは書いてはいけないことかもしれない。
ここは誰も読んでないので大丈夫だよね? 敢て書いておこう と思う。
許されないことした彼等もやはり同じように自分にできることを必死で考えていたのかもと…
考えることが良くない場所へ行きつく。ことはあるよね;

ほんものは何?は、真実って何?につづく
できることは何?は、なぜ生きるの?につづく。 それを考えるのは哲学や宗教を考えるのと同じだ。
答えが遠くなる気がした理由はこれか。ダーリンはその線を越えてまで考えろと言ってるわけではない。
でも、その線の手前で誤魔化してる限り、弔いは終わらない気がする。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130116/242345/?P=1
「成長できない」は、受け入れられない。それを言うのは「決して許されない」から。

「政教分離」という言葉で、政治は宗教から切り離されている特別の存在のように扱われている。
しかし、「決して許されない」が示しているのは、それも単なるひとつの宗教でしかなあり得ない。ように見える。
「決して許されない」と言うしかしようがない。のが、今、僕らが受け入れている宗教だと思う。
ニーチェに暴かれたキリスト教と同じように、近代政治もその出生に何かを隠しているのかもしれない。
「成長できない」は、ニーチェの反キリストのように、その現宗教への外側からの攻撃になる。

棚橋さんが、デザインをするために「デザインはできない」まで言ったように、
水野さんの「成長できない」にも、真逆の真意があると思う。
しかしそれはかの信者には伝わらない。だろうなぁ

ところで、ニーチェの本当の課題は捏造された神ではなくて、それを殺そうとしている自分側。
それを考えた点で、ニーチェは、「バカになれ!」と諭すぜんぜんバカじゃない老子を超えているように見える。
しかし、たどり着いた永遠回帰は、なぜか「道」に似ている。

陽があるのは陰があるから。生きているのはいつか死ぬから。上れば下る。
という世界観に、永遠に継続するその成長はない。そうゆう意味かな→成長できない。
は、いずれ受け入れるしかなくなると思っている。が、オラの宗教だといい。
すくなくともそのテロに走る「必要はなくなる」ような気がするんだよね…

とにかく
人生が投入された局面で、それがどうゆう局面であっても、それしか生きることはできず、
それを生きることが許されていて、そしてオラのそれは彼の地の誰よりも恵まれている。
を生きていく。ときどきブログにポストしながら生きていく。が、今の自分にできること。でいいじゃん
ご冥福をお祈りします。

Written by nasu38yen

2013年1月22日 @ 10:12 AM

カテゴリー: 未分類

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